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目に痛いような緑の中、削り取られたように刈られた麦畑、涼やかな木陰を作り出す背高ノッポの糸杉、無造作に整列するオリーブ、そして映画のシーンそのものの見事なヒマワリ…イタリアのハートと言われるだけあって、初夏のウンブリアの景色はため息が出るほど美しい….

そして目前にスバーシオ山が見えてくると、中腹に広がるアッシジの街が見えてくる。東西に長く延びたその全景は、S・フランチェスコの聖地として堂々たる風格を漂わせ、実にダイナミックに目に飛び込んでくる。絵画的な風景の中に出現する巡礼の地。この瞬間を逃すのはあまりにも勿体ない。どうぞ、バスの中では眠らないで…(爆睡していた友人に向かって…(笑)

紺碧の空の下、凛として佇むS・フランチェスコ教会には、97年の地震で被った被害などツユとも感じさせない。それは中に入っても同じこと。アーチに支えられたほの暗い地下教会は、荘厳でしめやかな雰囲気が漂い、陽光差し込む上部教会は、明るい生のエネルギーが満ちている。確かこの上部教会がかなり激しい損傷を受けた…という記憶がある。実際、修復らしい幕で覆われた所があるが、ジョットの絵も色鮮やかで、ホントにあんな事があったのか?とも思ってしまうほど…でも気が付かない、知らないだけで、ココには多くの人たちの努力と献身が詰まっているんだろうな…と感慨にふける…

スバーシオ山から切り出された石は淡いピンク色をしている。白であって白でない、聖堂の独特の風合いがココから生まれる。

大聖堂の地下に設置されたS・フランチェスコのお墓(写 真/パンフレットより)石像のように固まったまま祈りを捧げている人も多く、ピンとした緊張感がみなぎっている。それにしても立派なお墓である。聖堂自体も、上下2層の教会という、イタリアでもマレなる壮大な建築物だ。清貧を範としたフランチェスコの教えとは、かなり開きがあるようだが、彼も墓の下で苦笑いを浮かべているのかもしれない

 〜 映像で見るS・フランチェスコ 〜

教会にイエスの生涯や受胎告知といった聖書の場面が、必ずといっていいほど描かれているのは、ラテン語を解さない庶民が「見て」わかるようにするためである。 当時の教会の説教とは、ラテン語で行われていたが、それが理解できるのは、高い教育を受けた貴族や商人といった裕福な上流社会の人たちだけであった。 結果、教会に金が流れ、贅沢と権力に慣れしんだ聖職者は、貧しい者を顧みず堕落の一途をたどるようになる。

そんな混沌とした時代に現れたのが、ある日突然神の声を聞き、その身を神に捧げることになるフランチェスコであった。 彼の説教は万人が理解できるイタリア語であり、野に咲く花であれ、空飛ぶ鳥であれ、生きとし生けるもの全てに神への感謝を説いた。素朴で簡潔な教えと私利私欲に走る教会と正反対の清貧な姿が、人々の心を瞬く間に捉え、教えは急速に広がっていく。

自らも富豪の家に生まれ、豪遊の限りを尽くしていたフランチェスコの波乱に満ちたその生涯は、それだけに人々にとっては身近で親しみやすかったのか、数多い聖人の中でも、最も愛され、また論じられているひとりともいえる。

そんな彼を扱った2本の映画を紹介しよう。実際の舞台、アッシジの街並みや、フランチェスコの姿を映像で見ると、また違った感じ方が得られるはず。できればアッシジを訪れる前に是非見ておきたい映画である。

Brother sun, sister moon / ブラザー・サン、シスター・ムーン
1972年 イタリア/ F・ゼフィレッリ監督

Francesco/フランチェスコ
1989年 イタリア/リリアーナ・カヴァーニ監督