〜破戒僧にして名画家!フィリッポ・リッピ〜

ひょんな所でフィリッポ・リッピの画に出くわしたので、ちょっとご紹介!イタリア初期ルネッサンスに活躍。当時の宗教画の中の登場人物は、イエスであれマリアであれ「神」として描かれた。だからちょっと人間離れした(神だからね)硬質さが漂ってて、キレイだけど無機質な画が多かった。その中で、F・リッピの描く聖母子像は、ずっと肉感的、現実的で体温が感じられる表現だった。これはすこぶる画期的な事だったが、反対に中傷も少なくなかった。

実は彼、れっきとした「修道僧」だったのである。 そんな立場の人間が、こんな色っぽい聖母様を描くのはけしからん!誰かをモデルにイケない事をしてるんじゃないか?!といわれたワケ(笑))実際、女性とのつき合いを告発された文書が、フィレンツェの国立文書館に保存されているそうな… (アーメン)しかも「芸術家列伝〜ヴァザーリ著〜」によると、彼は、アノ手この手で女性に言い寄る好色魔!と書かれているらしい。本物だったのね!(笑)

同年代、同じ画家&修道僧で、名前のごとく天使のように清らかな作風と品行で慕われたフラ・アンジェリコとは全く正反対の「破戒僧」だったのである(笑)ちなみにフラ・アンジェリコの代表作、フィレンツェ・サンマルコ寺院の「受胎告知」とF・リッピの絵を比べてみると、その差が歴然としているのがよくわかるだろう。 ※「フラ」とはお坊さんに付く名称で、F・リッピもちゃんとした名前は「フラ・F・リッピ」

やぁ〜スゴイ!カラバッジオのような放蕩&問題画家だったのだ!絵からは全く想像できないけど…(笑)カラバッジオの場合、何か一致するじゃない?(笑)品性はどうであれ、画家としては超一流だったF・リッピの弟子には、あのボッチチェッリがおり(作風に影響大!彼の画が好きな人はF・リッピの画も見るべし!)落とし種として育った一人息子、フィリッピーノ・リッピは、ボッチチェッリの弟子となり、画家として大成した。ココんところ、まるで大河ドラマみたいな縁がある!(笑)

F・リッピは晩年、ここスポレートの仕事に従事し、この地で命を絶っている。色を成し、色を描いた「破戒僧」は、息子フィリッピーノの手による墓の中で、今は静かに眠っているのである
(ドォーモ右翼廊の左側の側面にこのお墓がある)

■写真/フィレンツェ ウフィッツイ美術館「聖母子と天使」

グッビオからプルマンに乗って最寄りの駅まで出て、列車でスポレートへ(グッビオはとってもイイ街だけど、ちょっと不便)このところプルマンでの移動が多かったので久しぶりの列車!って感じ(笑) 夕方にはモンテファルコへ行くので、荷物は駅に預けていざ出発!

スポレートはグッビオとほぼ同じ大きさなんだけど、何かズンと都会!という趣がある。駅前には大きなスーパーや銀行があるし、旧市街に入ってからも、道の両側の店が途切れることなく続いている。

それでも緩やかな石畳の坂が伸びる街並みは、静かで心地よく、少なすぎず多すぎない店をのぞきながら歩くには最適である

ウンブリアを代表するドォーモといえば、私も大好きなオルヴェートのソレが一番華やかで美しいだろう。だが、ここスポレートのドォーモを初めて見た時、そのリンとした佇まいにちょっとした感動を覚えたものだ。人っ子ひとりいない、寒風吹きづさむ冬の日で、灰色の世界の中に浮かび上がったドオーモは、墨絵のように美しく、宗教画のような荘厳さを漂わせていた!

清楚な外観だが、近づいてみると繊細なファサードに目を見張り、内部に至っては、後陣を飾る色鮮やかなフレスコ画に思わず声を失う。それもそのはず、あのフィリッポ・リッピの手になる作品だからだ。控え目な教会内に大輪の花が咲いたように、そこだけ光輝いているような華やかな絵である(写 真はちょっと手ぶれ(笑)

そしてまた、このドォーモは立地がイイ!メイン通りから緩やかに延びる階段を降りながら広場へ入っていくと、だんだん近づいてくるドォーモに、いつの間にか抱かれていく。すんなりと、かつ劇的に出会える場所になっているのだ。夏には、ドォーモが背景、広場が舞台、階段が観客席になり、盛大なコンサートがたくさん催されるそうだ。

ねっ?ねっ?キレイな顔してるでしょう?(笑)
とにかく、外観も内部も、あぁ〜こんなイイ所があったんだな〜と、しみじみ思える、なんだか得した気分になる場所なんである!
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